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あれから7年〜わたしの体験〜①

 まいぷれ奈良生駒編集部のニュース

あれから7年〜わたしの体験〜①
今日で東日本大震災から7年となりました。
編集部の私かじっこは、宮城県出身です。
今は奈良に住んでいますが、当時は宮城県仙台市で学生生活を送っていました。
そのときの体験を、記憶を掘り起こしながらこの場を借りて書いてみたいと思います。長くなったらごめんなさい。

午後2時46分に地震が起きた時、私は仙台駅近くのビルの5階にいました。就職活動中だった私は、会社説明会に参加していました。着慣れないスーツを着て、会社の方のお話を緊張した面持ちで皆シーンと聞いていました。話も佳境に入ろうとしていたとき、揺れが発生。地震にはわりと慣れていたのですが、これはいつもと違う。と直感しました。尋常ではない揺れに、皆長机の下に隠れました。今にも床が裂けて、下に落っこちてしまうのではないかと思うほどの激しい揺れに、部屋を飛び出して早く下に降りたい衝動にもかられました。それでも、誰一人騒ぎ立てることなく、長机の下でじっとしていました。
窓からは、さらに高い高層ビルが見えており、ゆーらゆーらとありえないほど揺れていました。
よくも倒れなかったものだと思います。

揺れが収まって、ひとまず命拾いしたとほっとしました。誘導に従って外に出て、会社の方から各自気をつけて帰るようにと、解散が告げられました。何が起こっているのかまだ理解できず、外は建物から出てきた人たちで騒然としていました。

家に帰ろうとして駅を通ろうとしたのですが、仙台駅は立ち入り禁止になっていました。そのため、遠回りして、行列になりながら歩いて帰りました。建物から水が噴き出している様子、水が出なくなったために困っている美容室のお客さんなども見たと思います。私の記憶では地震直後にも営業していたコンビニがあり、水や食料を買う人を見た気がするのですが、他の人によるとコンビニも営業を停止していた、とのことです。

私はアパートに帰り着きました。水道は出ましたが、電気が止まっていました。携帯メールで家族や知人と連絡を取ったあと、どうしてよいかもわからず、暗くなるまで毛布にくるまりじっとしていました。食料といえばチョコの詰め合わせしかなく、もぐもぐ食べていました。
部屋が完全に真っ暗になり心細くなっているころ、大学の体育館が避難場所になっているという連絡が入り、毛布を持って向かいました。
そこでは、暖かいストーブが焚かれていて、友人とも会うことができました。そしてその夜、ラジオを聴き、初めて津波の被害を知ったのです。
最初に聴いたのは、〜地区で、200人の遺体が発見された、という言葉。200人?耳を疑いました。
・・・地震から約30分後、私が揺れが収まって一安心し、家に向かって歩いているころー沿岸部にはとてつもない津波が到達していたのでした。

翌日には大変な状況の中で発行された新聞も見ることができ、被害の全容がだんだんと明らかになっていきました。

続く・・・かも

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まいぷれ奈良生駒編集部

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